京都三宝院
家紋「京都三宝院」の
◆ドームシール
◆メタルドームキーホルダー
◆ハメパチキーホルダー
を作りませんか?
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1セット10個
直径(mm) 円/セット 15 2,530 20 2,790 23 2,910 25 3,170 31 3,800 40 4,430
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1セット3個
直径(mm) 円/セット 15 1,900 20 2,430 25 3,000 31 3,800
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1セット3個
直径(mm) 円/セット 20 2,100 25 2,320 31 2,740
※価格はすべて税込価格です。
黒
白抜き
山吹に黒
黒地に山吹
銀鼠に黒
黒地に銀鼠
永久3年(1115年)、左大臣源俊房の子で醍醐寺14代座主勝覚が開く。当初は灌頂院と称したが、後に仏教の三宝にちなんで現在の名に改めたという。康治2年(1143年)に鳥羽上皇御願寺となる。
鎌倉から南北朝時代にかけて、成賢(7世)・憲深(11世)・賢俊(21世)と高僧を輩出し、足利尊氏から厚く保護された。特に足利義満の猶子となった25世満済は、応永3年(1396年)に醍醐寺座主に任じられ、続いて准三后となり、後には足利義教の室町幕府将軍擁立にも活躍したため、「黒衣の宰相」と呼ばれた。以後、歴代院主が醍醐寺座主を兼ねる慣例が成立する。また、古くから醍醐寺は真言宗系の修験の中心であったが、この頃から三宝院が真言宗系の修験者・山伏の取締にあたるようになる。(引用:wikipedia)