家紋市場家紋マークのドームシールやキーホルダーを作っちゃおう!!
お目当ての家紋を探して、家紋の立体シール(エンブレムシール)メタルドームキーホルダー、ハメパチキーホルダーを注文できます。

ドームシール、メタルドームキーホルダー、ハメパチキーホルダーをあなたの家紋で作成いたします。
家紋市場

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姉妹サイト「和市場」では様々な家紋グッズを販売致しております。

下記バナーより「和市場」へもお越し頂けますようお願い申し上げます。

和市場:家紋グッズいろいろあります

 

おすすめ商品

 

家紋入り御朱印帳
家紋額 ー円(つぶら)
家紋入りアルミスライドカードケース
家紋エンブレム
家紋入り隈取りストラップ3025
家紋蒔絵シール

「和市場」ではこの他にも沢山の家紋グッズをご用意しております。

ひこにゃんにも会える!滋賀の桜名所・彦根城で絶景桜さんぽ

春のお楽しみと言えばやっぱり桜ですよね。
桜の開花期間は一年でたった1週間ほど。
時期を狙って行かないとなかなかその絶景を味わうことが出来ないんです。

今回はそんな桜名所の中から滋賀県・彦根城の桜をご紹介。
開花時期は4月上旬から。
桜まつりも開催され、場内は多くの人でにぎわいます。

また、彦根城と言えばご当地キャラの「ひこにゃん」。
毎日お城に登場するので会いに行ってみて!

ひこね亀樂(きらく)車
旧彦根藩主・井伊家の家紋をあしらった幌付き人力車で、彦根城のお堀周辺を巡れます。
基本コースはありますが、時間内なら好きなところに案内してくれる柔軟な対応もうれしい。
※10分1000円〜

(後略)(ヤフーニュースより)

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トリック写真撮影スポット紹介 南海電鉄がマップ作製 和歌山

 手のひらサイズに見える「めでたいでんしゃ」や紀州東照宮の大きな三つ葉葵を支えているように見える人…。和歌浦や和歌山城、加太周辺でユニークな写真を撮影できるスポットを紹介する地図「トリック写真マップ」を南海電鉄(大阪市)が作製した。
 トリック写真マップは、和歌山市の魅力再発見や観光客誘致の一環として、同電鉄が作製。カメラ撮影の遠近感を利用した合成写真のような「トリック写真」を加太や和歌山城、和歌浦を舞台にまとめた地図で、トリック写真の撮り方も記されている。
 同マップに掲載されている写真は20種類。加太駅(同市加太)に停車中の観光列車「めでたいでんしゃ」をホームの端から撮り、カメラの手前に人を立たせて、手のひらに列車が乗っているように見せる写真や、紀州東照宮(同市和歌浦西)駐車場の奥に人を立たせて、駐車場の手前にある三つ葉葵の家紋を人が支えているように見せる写真など、ユニークな写真がそろう。(後略)(ヤフーニュースより)

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趣向凝らし「町家の人形めぐり」 和歌山・九度山で4月1日から

 五月人形やひな人形などを展示する「町家の人形めぐり」が4月1日、「まちなか」と呼ばれる九度山町中心部の民家や商店など約50軒で始まる。特設展示場では、九度山で14年間過ごした戦国武将・真田幸村ゆかりの大坂城の模型などが展示されており、趣向をこらした内容になっている。5月5日まで。
 まちおこしの一環として町民らでつくる「九度山町住民クラブ」(阪井賢三会長)が毎年企画し、町中心部の民家などの軒先や玄関付近などで人形を展示している。
 今年は特設展示場も整備。子供たちに楽しんでもらおうと、入り口奥に、昨年別会場で展示した大坂城の模型に一部手を加え、城内で南海電車の2種類の鉄道模型を走らせる。さらに4月中旬からは町内を走る真田氏の家紋・六文銭をあしらった「真田赤備え電車」の模型も走らせるという。(後略)(ヤフーニュースより)

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福井の伝統工芸広める動画制作へ ウェブで資金集め、ウルシの植樹にも

 福井県鯖江市出身で東京都内の大手IT企業に勤務する森田裕士さんが現在、福井の伝統工芸品を世界に広めるための映像を作るプロジェクトを進めている。(福井経済新聞)

 目標金額は300万円。支援コースは500円から30万円まで15通りあり、1,000円以上のコースで映像のエンドロールに氏名が掲載される。1万円以上からは支援額に応じ、蒔絵を施したカップ、塗り箸、サラダボウル、重箱、戦国武将の家紋が入った椀(わん)などの返礼品もある。企業向けに、自社のPR映像として利用できる映像使用権付きのコースも設ける。(後略)(ヤフーニュースより)

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全国名字ランキング5位。「渡辺」さんのルーツは伝説の英雄

高度な海運技術を買われて隆盛

「渡辺」のルーツは大阪・中之島にある「渡辺」という土地を拠点に発展した一族で、始祖とされるのは渡辺綱(つな)だ。
 渡辺綱は伝説の多い平安時代の英雄で、嵯峨源氏の源融の子孫。謡曲『羅生門』では、羅生門の鬼の片腕を切り落とし、御伽草子『酒呑童子』では、頼光とともに大江山の緒に退治に加わっている。

 渡辺の代表的な家紋は「渡辺星」と呼ばれる独特の図柄。3つの丸は星とされるが、家紋研究家の高澤等さんは「船に積んだ米俵と見ることもできます」と語る。(後略)(ヤフーニュースより)

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稲作とともに広まった日本の代表的名字「田中」さん

 姓氏研究家の森岡浩さんによると、地名・地形由来の名字は日本列島の西に行くほど多い傾向という。田中はその代表的な例で、10位以内のエリアは関西に集中する。

「稲作は大陸から西日本に伝来し、徐々に東北に伝播しました。当初は西日本に田園が多く、東北には少なかったために分布に差異が生じたものと考えられます。農民は基本的に引っ越しができなかったので、移動による拡散も少なかったのです」と、家紋研究会会長の高澤等さんは説明する。
 そんな、農耕文化に根ざし、庶民感覚の色濃い田中だが、歴史上では活躍した人物も少なくない。豊臣秀吉の下で大名になった田中吉政はその好例だ。
 高澤さんは「近江出身の田中吉政の家紋は釘貫で、藤原氏ゆかりの御上神社もこれが御神紋。この一族から派生した可能性もありますね」と話す。(後略)(ヤフーニュースより)

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上賀茂神社のフタバアオイ、駿府城へ 「葵使」行列出発

 京都三大祭りの一つ、葵祭で使われるフタバアオイを上賀茂神社(京都市北区)から駿府城(静岡市)に献上する使節「葵使(あおいつかい)」の行列が26日、同神社を出発した。来月1日に駿府城で開かれる「静岡まつり」で奉納される。
 葵使は1610(慶長15)年に上賀茂神社から徳川家康に献上したことに始まり大政奉還まで続いたが、明治維新の際に途絶えた。
 一方、徳川家の家紋の由来とされ、葵祭にも使われるフタバアオイは、異常気象などにより減少。フタバアオイを育成し伝統文化を継承しようと、上賀茂神社が発足させた「NPO法人葵プロジェクト」が中心となって、平成20年に古文書などを基に葵使を復活させ、毎年行われている。(後略)(ヤフーニュースより)

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「高橋」さんの名字のルーツは高い橋だけにあらず!

大和国の高橋は神に仕えた一族

「高橋」は古代氏族にも存在し、姓にも名字にもあるという比較的珍しい例だ。高橋は地名にも多く、住む場所の地形にちなんで名字になることもあった。現在の高橋のもっとも有力なルーツとされるのが大和国(奈良県) 布留(ふる)の高橋に根ざした高橋一族である。

 また、同じ大和国の添そえ上がみ郡には「高橋神社」があり、物部氏と同族の高橋氏が神に仕える役割を担って繁栄した。
「高橋の家紋は笠を用いたものが非常に多い。笠は“竹を立てる”と書き、この竹を立てるという行為は、神様の通い道を設しつらえるという意味。神事の一環なのです」と、家紋研究会会長の高澤等さん。(後略)(ヤフーニュースより)

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和市場:家紋グッズいろいろあります

家紋入りiPhoneケース

家紋入りガードフィルム

家紋額 ー円(つぶら)

家紋エンブレム

陶器製家紋入り楯

家紋ストラップ長方形3025

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紋柄別に家紋を探す

 

 

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数種の紋柄を組み合わせてオリジナル家紋を作りたい!!
ストラップ(マツバ)にして作ってほしい!!
など、お気軽にお問い合わせください。

姉妹サイト「和市場」でもその他家紋グッズ色々あります。

お問い合せ

家紋とは古くから伝わる大切な家の印で、平安中期以降、公家が用いた興車や束帯などを他人と区別することを目的として使用されるようになり、いつしか世襲となりその家の紋章となったものです。
その後、武家の時代になるとともに馬印・指物・幌・幕・衣服・調度品などに家紋を表示するようになりました。
2万種とも3万種類とも言われている、日本で育まれた伝統文化の一つですが、家紋には著作権がなく(一部例外あり)だれでも用いる事が出来ますので、皆様もぜひ家紋グッズで楽しんでみてはいかがでしょうか。

戦国BASARA

おすすめ商品

家紋スタンド・楯 家紋携帯クリーナー 家紋ひし型キーホルダー 家紋メタルドームキーホルダー大 家紋ストラップ風雅G 木曽檜一合枡

まめ知識

家紋や名字、その他「和」に関するミニコラム

前回までのまめ知識

  • もっと「家紋」を知りたい。という方へ
    今や入手困難な文献、書籍、紋帖など。また手に入れるにしても高額なもの、などもありますが「もっと深く家紋とつきあいたい」とおっしゃる方へのインフォメーションとして下記をご紹介しておきます。 お買い求め、または図書館等での閲覧の一助にして頂ければ幸いです。

    『見聞諸家紋』戦国時代

    『女中達紋尽』元禄10年(1697)
    『風流替紋づくし』延享年間(1744〜48)

    『早引紋帳大全』文政7年(1842)
    『風流紋帖早見大成』文久年間(1861〜64)
    『図解いろは紋帖大成』不明(昭和8年復刻版)
    『伊呂波引紋帳』明治14年(1881)
    『広益紋帖大全』明治24年(1891)
    『紋かがみ』明治36年(1903)
    『紋の志おり』明治39年(1906)
    『紋づくし』大正4年(1915)
    『紋之泉』大正15年(1926)
    『江戸紋章集』昭和2年(1927)
    『紋典』昭和7年(1932)
    『標準紋帖』昭和10年(1935)
    『平安紋鑑』昭和11年(1936)

    『日本紋章学』大正15年(1926)
    『綱要 日本紋章学』(普及版)昭和3年(1928)
    『紋章の研究』昭和15年(1940)
    『日本紋章大図鑑』昭和53年(1978)
    『紋章の再発見』昭和55年(1980)
    『日本家紋総鑑』平成5年(1993) 『紋帖による紋の違い』平成9年(1997)
    『都道府県別 姓姓家紋大事典』平成16年(2004)
    『家紋の事典』平成20年(2008)

以前の豆知識

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答え10036
足利尊氏の家紋は「足利二つ引両」。室町幕府の創設者。後醍醐天皇の挙兵の際、鎌倉幕府側として軍を率いて上洛したが、途中で反幕府を掲げて六波羅探題を攻略し、幕府に大打撃を与えた。後に後醍醐天皇と対立、征夷大将軍となり後の室町幕府を開いた。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10035
竹崎季長の家紋は「三つ目結に吉文字」。肥後国の御家人で阿蘇氏の一族。元冠における戦功の恩賞がないことを不服として鎌倉に出向き、幕府ヘ直訴。その結果、肥後国海東の地頭に任命された。元冠での自らの戦功を描かせた『蒙古襲来絵詞』でも知られる。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10034
菊池武房の家紋は「並び鷹の羽」。肥後国に本拠を置く菊池氏の十代当主。元寇での武勇が知られ、1274年の文永の役では、弟とともに出陣し、活躍を見せる。また、1281年の弘安の役においては、一族を率いて戦い、武功を挙げている。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10033
菊池武房の家紋は「並び鷹の羽」。肥後国に本拠を置く菊池氏の十代当主。元冠での武勇が知られ、1274年の文永の役では、弟とともに出陣し、活躍を見せる。また、1281年の弘安の役においては、一族を率いて戦い、武功を挙げている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10032
少弐景資の家紋は「寄掛目結」。筑後国の豪族。父や兄とともに、文永の役を戦う。この中で、敵将の劉復亭を矢で射止める武功を挙げた。これが認められ北九州に勢力を拡大したが、後に兄との家督争いに敗れ、命を落とす。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10031
和田義盛の家紋は「七曜」。三浦氏の一族で、頼朝の挙兵に参加。初代侍所別当を務め、頼朝の信頼も厚かった。頼朝の死後、有力御家人の失脚追放で北条氏に荷担するものの、自身も北条義時によって挙兵に追い込まれ、討ち死にする。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10030
宗像長氏の家紋は「丸に一つ柏」。宗像氏は筑前国の名族で、古くは玄界灘付近の海域を支配した海洋豪族である。また、宗像大社の大宮司家という役もあった。四十八代の長氏は弘安の役での奮戦により、幕府から肥前国神埼郡を与えられている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10029
佐々木信綱の家紋は「平四つ目結」。源平の合戦で頼朝を助けた佐々木定綱の子で、宇治川の戦いの先陣争いで知られる佐々木高綱の甥。承久の乱に幕軍として参加し宇治川で武功を挙げ、官軍側についた長兄に代わって近江地方の地頭職を得る。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10028
三浦義村の家紋は「三つ引両」。源氏方として挙兵し、鎌倉幕府成立後には北条氏に並ぶ力を持つ重臣となる。権力争いへの介入に積極的で、梶原氏、畠山氏、和田氏ら有力御家人の排斥に関わった。北条氏とも水面下で火花を散らしている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10027
畠山重忠の家紋は「村濃」。頼朝の忠勇の士として知られる。当初は平家方に属したが、後に頼朝に臣従。知勇を備えた武将であり、幕府創設の功臣となる。頼朝の没後、頼家の後見人を任されるが、初代執権の北条時政によって謀殺された。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10026
比企能員の家紋は「丸に割り菱」。頼家に娘を嫁がせ将軍の外戚として権力を持ち、その台頭を快く思わない北条時政・義時と対立を深める。これが「比企の乱」につながり比企氏は滅亡するが、実際には北条氏の大軍が一方的に攻め込んだものである。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10025
北条義時の家紋は「三つ鱗」。鎌倉幕府の二代目執権。武力と謀略で北条氏の権力強化と武士政権の確立を図った。後鳥羽上皇が起こした承久の乱を鎮めると、朝廷の監視機関である六波羅探題を設置して、朝廷と幕府の力関係を逆転させた。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10024
結城朝光の家紋は「左三つ巴」。小山朝政の異母弟で、頼朝の乳母を母に持つ。頼朝から下野国結城の地を与えられ、結城と名乗る。若い頃から念仏に傾倒しており、晩年は出家して信仰に生きた。それゆえ、幕府の内紛には巻き込まれることがなかった。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10023
答えは「日月(じつげつ)紋」。菊紋は後鳥羽上皇が用いはじめ、その後宇多天皇のときに正式な紋章と定めらましたが、もともとの家紋は「日月紋」で、現在も皇室で使用されています。
答え10022
小山朝政の家紋は「左二つ巴」。頼朝の挙兵に呼応し早々に参戦、一貫して源氏側に立って戦功を挙げてきた。その後、下野国の守護に任命される。父・政光の後妻は頼朝の乳母で、頼朝の平家打倒の書状に応え、実子・朝光を伴い参じている。(引用:「家紋の世界」イースト・プレス発行)
答え10021
熊谷直実の家紋は「ほやに鳩」。頼朝に仕え活躍し御家人となるが、もとは平家方の武将であった。石橋山の戦い(1180(治承4年)8月)で敗れ山中に身を潜めていた頼朝を見つけるが、洞窟に潜ませほや(ヤドリギ)で入口を隠し、彼をかくまったという逸話が残る。(引用:「家紋の世界」イースト・プレス発行)

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