家紋市場家紋マークのドームシールやキーホルダーを作っちゃおう!!
お目当ての家紋を探して、家紋の立体シール(エンブレムシール)メタルドームキーホルダー、ハメパチキーホルダーを注文できます。

ドームシール、メタルドームキーホルダー、ハメパチキーホルダーをあなたの家紋で作成いたします。
家紋市場

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姉妹サイト「和市場」では様々な家紋グッズを販売致しております。

下記バナーより「和市場」へもお越し頂けますようお願い申し上げます。

和市場:家紋グッズいろいろあります

家紋グッズインデックス

 

家紋入り御朱印帳 家紋キーホルダー 家紋ストラップ 家紋_木ごころコーナー 家紋額 家紋シール 家紋ステーショナリー 家紋入り千社札風グッズ 家紋楯・スタンド 家紋カラー楯 家紋クリーナー 家紋入り台付ふくさ 家紋ラバーウッド 家紋ハンカチ 家紋金銀コーナー 家紋アクセサリー 家紋キッチン 家紋ポロシャツ 家紋名刺 隈取りグッズ

 

おすすめ商品

 

家紋ハンドスピナー

家紋入り爪切り

家紋エンブレム
家紋入り御朱印帳
家紋額 ー円(つぶら)
家紋エンブレム

家紋入り風呂敷

家紋入り袱紗

「和市場」ではこの他にも沢山の家紋グッズをご用意しております。

大阪・慶沢園で「中能登花嫁のれん」展

 幕末から明治初期の頃、北陸・加賀藩の独自の文化だった花嫁道具の展示が、大阪市指定文化財の日本庭園「慶沢園」(大阪市天王寺区)にて11月11日・12日に開催。今回は花婿のれんも展示される。
 アンティークな風合いのある美しい染付がされた花嫁のれん。実家の家紋がふたつ染め付けられ、梅や鳳凰などが描かれたとても華やかな暖簾になっている。その風習では花嫁が嫁入りするときに花嫁のれんを持参し、嫁ぎ先の仏間の入り口にかけられる。玄関で合わせ水の儀式を終え、両家の挨拶を交わした後、暖簾をくぐって先祖のご仏前に座ってお参りをしてから結婚式が始まるという必要不可欠な存在だ。
 花嫁のれんとともに、その暖簾にまつわるエピソードなども展示されるのが意味深い。本イベントを共催している 「ARTでGENKIになるプロジェクト」代表の津村長利さんは「3年前にこの花嫁のれんを見て、ストーリーを聞いて、とても感動した。ぜひ、その美しさとそれにまつわるストーリーを日頃公開されていない古い茶室の中でお楽しみいただきたい」と本展示の魅力を語る。「慶沢園」に飾られた花嫁のれんと花婿のれん、その物語に思いを馳せてみて。(ヤフーニュースより)

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田村家に残る馬具公開 福井県大野市の武家屋敷旧田村家

 福井県大野市城町の武家屋敷旧田村家で、約350年前の鞍(くら)など馬具一式が展示されている。大野藩の家老、田村又左衛門(またざえもん)家に残る品で、一般公開は初めて。参勤交代など正装時に使用されたものとみられる。3日まで。
 田村家は1759(宝暦9)年、代々家老職を務めた本家の田村左兵衛(さひょうえ)家から分家。通称「小田村(こたむら)」と呼ばれ、2代目又左衛門俊強(としたけ)も藩主・土井利忠の下で家老に就いている。馬具一式は蔵に保存されており、本家から同家に受け継がれたかなど詳細は明らかになっていない。
 馬具は鞍や、鞍に敷く「馬せん」、馬の口にはめる「くつわ」、馬の尻に敷く「鞦(しりがい)」などがあり、ほぼ完全な状態でそろっている。
 鞍は木製で、漆塗りに貝殻の光沢をちりばめる装飾技法「螺鈿(らでん)」が施されている。座位部分の裏面には「寛文五(1665)年五月十日」「政直(花押)」と刻まれており、江戸時代初期に活躍した馬具師が作ったとみられる。前方と後方には、田村家の家紋「剣唐花紋」がある。
 そのほか、鉄製のあぶみや黒漆塗りの馬柄杓(まびしゃく)などもある。市教委学芸員は「乾燥に弱い部分も良い状態で残っている。明治以降に使われなくなったものが現存しているのは珍しい」としている。入館料は大人200円、中学生以下無料。(ヤフーニュースより)

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安土桃山期の道路遺構出土 京都、伏見城城下町に関連か

 京都市伏見区桃山町で、安土桃山−江戸時代初期とみられる石垣と石組みの道路側溝が、市文化財保護課の発掘調査で見つかった。伏見城城下町の武家屋敷に関連する遺構とみられる。
 調査地は、南北に延びる「伊達街道」沿いの武家屋敷街の一角。29年前の南隣接地の調査でも、石垣と側溝を確認。石垣と溝は前回の延長線上だが、溝の作り方が異なるという。
 市所蔵の古地図では、調査地は山内一豊と堀秀政の屋敷が並ぶ。家紋瓦など持ち主を特定する出土品はなく、同課は「今後の調査に期待したい」としている。(ヤフーニュースより)

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岡崎城で発掘調査 城主の家紋入り瓦を発見

 愛知県岡崎市の岡崎城跡で初の本格的な発掘調査が行われています。 岡崎城は徳川家康の生誕地として知られ数度の改修と再建を重ね、現在は戦後に建てられた鉄筋コンクリート造りとなっています。初となる発掘調査は、城の南側にある月見櫓跡で行われ、当時の絵図に載っていなかった溝や、江戸時代中期に城主だった水野家の家紋が入った瓦などが見つかったということです。9月2日には住民を対象にした現地説明会が行われます。(ヤフーニュースより)

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和市場:家紋グッズいろいろあります

家紋入りジュエリーケース
家紋額 ー円(つぶら)

家紋エンブレム

陶器製家紋入り楯

家紋ストラップ長方形3025

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紋柄別に家紋を探す

 

 

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お問い合せ

家紋とは古くから伝わる大切な家の印で、平安中期以降、公家が用いた興車や束帯などを他人と区別することを目的として使用されるようになり、いつしか世襲となりその家の紋章となったものです。
その後、武家の時代になるとともに馬印・指物・幌・幕・衣服・調度品などに家紋を表示するようになりました。
2万種とも3万種類とも言われている、日本で育まれた伝統文化の一つですが、家紋には著作権がなく(一部例外あり)だれでも用いる事が出来ますので、皆様もぜひ家紋グッズで楽しんでみてはいかがでしょうか。

戦国BASARA

おすすめ商品

家紋スタンド・楯 家紋携帯クリーナー 家紋ひし型キーホルダー 家紋メタルドームキーホルダー大 家紋ストラップ風雅G 木曽檜一合枡

まめ知識

家紋や名字、その他「和」に関するミニコラム

前回までのまめ知識

  • もっと「家紋」を知りたい。という方へ
    今や入手困難な文献、書籍、紋帖など。また手に入れるにしても高額なもの、などもありますが「もっと深く家紋とつきあいたい」とおっしゃる方へのインフォメーションとして下記をご紹介しておきます。 お買い求め、または図書館等での閲覧の一助にして頂ければ幸いです。

    『見聞諸家紋』戦国時代

    『女中達紋尽』元禄10年(1697)
    『風流替紋づくし』延享年間(1744〜48)

    『早引紋帳大全』文政7年(1842)
    『風流紋帖早見大成』文久年間(1861〜64)
    『図解いろは紋帖大成』不明(昭和8年復刻版)
    『伊呂波引紋帳』明治14年(1881)
    『広益紋帖大全』明治24年(1891)
    『紋かがみ』明治36年(1903)
    『紋の志おり』明治39年(1906)
    『紋づくし』大正4年(1915)
    『紋之泉』大正15年(1926)
    『江戸紋章集』昭和2年(1927)
    『紋典』昭和7年(1932)
    『標準紋帖』昭和10年(1935)
    『平安紋鑑』昭和11年(1936)

    『日本紋章学』大正15年(1926)
    『綱要 日本紋章学』(普及版)昭和3年(1928)
    『紋章の研究』昭和15年(1940)
    『日本紋章大図鑑』昭和53年(1978)
    『紋章の再発見』昭和55年(1980)
    『日本家紋総鑑』平成5年(1993) 『紋帖による紋の違い』平成9年(1997)
    『都道府県別 姓姓家紋大事典』平成16年(2004)
    『家紋の事典』平成20年(2008)

以前の豆知識

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答え10036
足利尊氏の家紋は「足利二つ引両」。室町幕府の創設者。後醍醐天皇の挙兵の際、鎌倉幕府側として軍を率いて上洛したが、途中で反幕府を掲げて六波羅探題を攻略し、幕府に大打撃を与えた。後に後醍醐天皇と対立、征夷大将軍となり後の室町幕府を開いた。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10035
竹崎季長の家紋は「三つ目結に吉文字」。肥後国の御家人で阿蘇氏の一族。元冠における戦功の恩賞がないことを不服として鎌倉に出向き、幕府ヘ直訴。その結果、肥後国海東の地頭に任命された。元冠での自らの戦功を描かせた『蒙古襲来絵詞』でも知られる。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10034
菊池武房の家紋は「並び鷹の羽」。肥後国に本拠を置く菊池氏の十代当主。元寇での武勇が知られ、1274年の文永の役では、弟とともに出陣し、活躍を見せる。また、1281年の弘安の役においては、一族を率いて戦い、武功を挙げている。(引用:「家紋の世界」(株)インデックス発行)
答え10033
菊池武房の家紋は「並び鷹の羽」。肥後国に本拠を置く菊池氏の十代当主。元冠での武勇が知られ、1274年の文永の役では、弟とともに出陣し、活躍を見せる。また、1281年の弘安の役においては、一族を率いて戦い、武功を挙げている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10032
少弐景資の家紋は「寄掛目結」。筑後国の豪族。父や兄とともに、文永の役を戦う。この中で、敵将の劉復亭を矢で射止める武功を挙げた。これが認められ北九州に勢力を拡大したが、後に兄との家督争いに敗れ、命を落とす。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10031
和田義盛の家紋は「七曜」。三浦氏の一族で、頼朝の挙兵に参加。初代侍所別当を務め、頼朝の信頼も厚かった。頼朝の死後、有力御家人の失脚追放で北条氏に荷担するものの、自身も北条義時によって挙兵に追い込まれ、討ち死にする。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10030
宗像長氏の家紋は「丸に一つ柏」。宗像氏は筑前国の名族で、古くは玄界灘付近の海域を支配した海洋豪族である。また、宗像大社の大宮司家という役もあった。四十八代の長氏は弘安の役での奮戦により、幕府から肥前国神埼郡を与えられている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10029
佐々木信綱の家紋は「平四つ目結」。源平の合戦で頼朝を助けた佐々木定綱の子で、宇治川の戦いの先陣争いで知られる佐々木高綱の甥。承久の乱に幕軍として参加し宇治川で武功を挙げ、官軍側についた長兄に代わって近江地方の地頭職を得る。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10028
三浦義村の家紋は「三つ引両」。源氏方として挙兵し、鎌倉幕府成立後には北条氏に並ぶ力を持つ重臣となる。権力争いへの介入に積極的で、梶原氏、畠山氏、和田氏ら有力御家人の排斥に関わった。北条氏とも水面下で火花を散らしている。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10027
畠山重忠の家紋は「村濃」。頼朝の忠勇の士として知られる。当初は平家方に属したが、後に頼朝に臣従。知勇を備えた武将であり、幕府創設の功臣となる。頼朝の没後、頼家の後見人を任されるが、初代執権の北条時政によって謀殺された。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10026
比企能員の家紋は「丸に割り菱」。頼家に娘を嫁がせ将軍の外戚として権力を持ち、その台頭を快く思わない北条時政・義時と対立を深める。これが「比企の乱」につながり比企氏は滅亡するが、実際には北条氏の大軍が一方的に攻め込んだものである。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10025
北条義時の家紋は「三つ鱗」。鎌倉幕府の二代目執権。武力と謀略で北条氏の権力強化と武士政権の確立を図った。後鳥羽上皇が起こした承久の乱を鎮めると、朝廷の監視機関である六波羅探題を設置して、朝廷と幕府の力関係を逆転させた。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10024
結城朝光の家紋は「左三つ巴」。小山朝政の異母弟で、頼朝の乳母を母に持つ。頼朝から下野国結城の地を与えられ、結城と名乗る。若い頃から念仏に傾倒しており、晩年は出家して信仰に生きた。それゆえ、幕府の内紛には巻き込まれることがなかった。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
答え10023
答えは「日月(じつげつ)紋」。菊紋は後鳥羽上皇が用いはじめ、その後宇多天皇のときに正式な紋章と定めらましたが、もともとの家紋は「日月紋」で、現在も皇室で使用されています。
答え10022
小山朝政の家紋は「左二つ巴」。頼朝の挙兵に呼応し早々に参戦、一貫して源氏側に立って戦功を挙げてきた。その後、下野国の守護に任命される。父・政光の後妻は頼朝の乳母で、頼朝の平家打倒の書状に応え、実子・朝光を伴い参じている。(引用:「家紋の世界」イースト・プレス発行)
答え10021
熊谷直実の家紋は「ほやに鳩」。頼朝に仕え活躍し御家人となるが、もとは平家方の武将であった。石橋山の戦い(1180(治承4年)8月)で敗れ山中に身を潜めていた頼朝を見つけるが、洞窟に潜ませほや(ヤドリギ)で入口を隠し、彼をかくまったという逸話が残る。(引用:「家紋の世界」イースト・プレス発行)

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